プラスないん!

暇を持て余していた理系大学院生から社畜になったないんのブログ

現代人こそ、一度『般若心経』に興味を持ってみてはと思う

ふと行きつけの本屋でふらふらしていると、『超訳般若心経』という本が目に入りました。私は別に仏教だとか宗教に興味があるわけではなかったのですが、その時の気分でなんとなく買ってしまいました。

 

私自身、宗教に対してはほとんどの日本人のようにイベントでお世話になる程度です。お盆や墓参りなどですね。海外に行くと日本の異常性を実感しました。

 

ですが、般若心経の解説本を読んだときに私は信じる信じないということではなく、ひとつの考え方として知っておくと、現代で生きていく上で少しでも助けになるのではないかと思いました。今回は少しでも興味を持っていただければと思って稚拙ながらも記事にしました。

 

般若心経とは

大乗仏教の空の教えがまとめられた経典です。大乗というのは厳しい修行をした人だけでなく、大衆(すべての人間)も救われるという考え方の流派です。

 

約300文字というお経の中では短いですが、そこには大乗仏教の心理が書かれているとも言われています。

 

物語の中だと、三蔵法師が持ち帰った経典の中にもあったとか、耳なし芳一で体に書いたのが般若心経だとかが有名でしょうか。

 

般若心経の教え

私も本をかじった程度なので専門・本業の方に比べれば数mmしか理解できていないと思います。さらに般若心経の受け取り方も人によっては違うこともあり、解説本もたくさん出ています。

 

そんな中で私が『超訳般若心経』を読んで、思ったことや自分なりの考えをここでは書いていきたいと思います。

 

『空』

空とは実体がどこにもないということです。般若心経が空について書かれている事もあって、この文字が本文に何回も出てきます。

 

あらゆるものが空であり、実体がなく変化していくものだと言っています。これを理解することが重要だと。

 

つまり物事はすべて不変ではないということです。

 

例えば、嫌いだった食べ物があったとします。久しぶりに食べてみたらなかなかイケる。なぜいままで気づかなかったのかと思う。こんなことってありませんか?

 

自分の気持ちですら不変ではないものです。変わらないという固定観念で考えていると苦悩に陥ってしまうことがります。すべては変わっていくものなのだという真実に気付くことができれば心構えができるはずです。

 

しかし、人は経験から学ぶという習性があります。経験はその時のその状況で起こった過去のものです。経験を忘れて今を生きるというのもひとつの手だと思います。

 

『無』

『無』という文字もよく出てきます。『無』というのは『ない』という意味ではありません。『ある』と『ない』を超えた考え方です。

 

最近たまに耳にする『0』か『1』で考えるなというのに似ています。これはもともとコンピュータの知識から来ていますが、簡単に言うと電気が流れていれば『1』で流れていなければ『0』としているわけです。

 

我々人間はこんな単純ではないはずです。

 

『いい』とか『悪い』、『好き』『嫌い』で判断してばかりだと思わぬ穴に落ちることもあるということです。結局この『いい』『悪い』という主観も自分の経験からできています。先程の空につながっていきます。

 

現代は凝り固まった人が多い

最近のニュースを見ているとスポーツ界のパワハラ問題が乱立しています。そこでだいたい出てくるのが協会のお偉いさんです。

 

私には真実のほどはわかりませんが、昔はそれでよかったのかもしれませんが、今は通用しないんじゃないのかといったことばかりです。組織自体に古さを感じてしまいます。

 

それは他人事ではなく、長く生きていく中で自分も古い人間になっていきます。そうなったときに般若心経にあるように一度考えを空にして真実を探すべきです。

 

別に本当に真実が見つからなくていいのです。その空という姿勢が大事なのですから。

 

 

学生であり、社会人であり、悩みや苦しみはあると思います。私も苦悩ばかりです。なので一度般若心経に興味を持っていただいて簡単な解説本なんかを読んでみてはどうでしょうか。

 

この前3つ下の人に貸そうかと言ったら「おじいちゃんくさい」と言われてしまったのですが…


超訳般若心経―“すべて”の悩みが小さく見えてくる (知的生きかた文庫)